音楽
2006年05月23日
80’s J−POP
NHKFMから流れてきた
あみんの「待つわ」
なかなか名曲である。
自分が青春真っ只中にいたころの曲で、同年代の女性が歌っていたのは良く目にしたものである。
稲垣潤一の「ドラマティックレイン」もいいね。
自分が仕事に行く途中に、よく車に流していた曲である。
郊外に出かけるときには、何回も聞いたっけな。
まだ独身だった頃、
いろいろな彼女がぼくの家に遊びに来て、それから飲みに行ったり、ドライブに行ったり、朝まで語り合ったり、逆に彼女らの家に遊びに行ったりもしていた。
みんな、生き生きとしたカワイイ人ばかりであった。楽しいことばかりだった。
80年代の音楽を聴いても何一つ悲しいことなんてない。
音楽というのは
それだけでその時のことを思い出させてくれるものである。
2006年05月19日
2006年04月22日
かけめぐる青春@ビューティーペア
昨晩、天文館グラハンで
CRスキージャンプ・ペア初級編をした。
あの有名なスキージャンプをモチーフにした機種である。
かなり笑える技の数々が出てきて、面白い。
運良く、大当たりが来た。金メダル、銀メダル、
銅メダルの抽選が行われるのだ。
金銀銅で、時短の回数の振り分けがなされる。
金メダルの撮影失敗、銀でご勘弁を
金メダルが出た時に、BGMで流れるのが、ビューティーペアの「かけめぐる青春」だ。
♪ビューティ、ビューティー、ビューティーペアー
というあの快いリズムで体がスイングする。
なんと、この音楽が頭から離れることなくて、今日まで引きずっていた。
こうなると、カラオケで歌ってしまうしかないという逆療法を思いついた。
昼飯を食べた後、シダックス天文館で、歌ってきた。
「あなたから私に、私からあなたに」というくだりでは、なぜか涙がこぼれてきたのであった。
かけめぐってしまった青春を思い出し、涙腺が活発になる、つまり感情失禁が起きたのか?
老いはかなりそこまできているようだ。
2006年03月26日
2006年03月04日
クレージケンバンドのカラオケと横須賀訪問
昨日、カラオケで
クレージケンバンドの曲を歌った。
全部で23曲あったのだが、歌えるのはその半分程度だ(ナサケナイ)。
最近よく歌うのが
ハワイの夜
女
1600GT である。
そして、もちろん タイガーアンドドラゴンも歌う。
特にこの歌を歌うたびに、三笠公園や海の風景を思い浮かべる。
横須賀の海の潮風を体全体に受けているときは、
何とも言えない幸福に包まれるのである。
横須賀にちなむアーティストは、他に
山口百恵
渡辺真知子
ダウンタウンブギウギバンド
などがいる。誰もが、この横須賀の海や町を意識した歌を歌っているようだ。
港町 横須賀の町の匂いは、ぼくにとっては「潮の香り」である。
そして、味は、カレーであり、ホッピーであろうか。
注:本文とは関係アリマセン。
ただ、美人だったので、つい魔がさしました。。
今月来月初めと都内の用事ばかりで、横須賀に行けそうもない。
来月後半の横浜ツアーでは、横須賀ブログつながりの方の情報を元に
ぼくのまだ知らないこの町を歩きたい。
※良いお店も一杯あるそうです。
2005年12月31日
2005年12月08日
行進曲「軍艦」‘THE MAN OF WAR ‘(再掲)
いわゆる「軍艦マーチ」である。明治30年頃 作曲 瀬戸口 藤吉
三笠公園の三笠売店で
「歴史的日本海軍行進曲集」のCDを購入したのである。
もちろん、ここにも収められている。
瀬戸口 藤吉は、鹿児島県人である。もっと詳しく言うと、垂水生まれである。
日本の吹奏楽は薩摩藩伝習生が、横浜でイギリス人から習ったのが始まりだそうだ。彼らは一旦鹿児島に帰ったが、海軍が出来たと同時に呼び戻され、海軍の楽曲を作ったのだ。
ぼくの世代にとっては、パチンコ屋、鹿児島でいうとグラハンとかモリナガでBGMとして馴染み深い曲だろう。
店内ではいやというほど繰り返し流れていたので、すっかり体の芯まで、しみ通った気がする。
こじつければ、地元作曲家の名曲を聞いていたということで
理にかなっているのだ。
さて
記念艦三笠の横の船着場の近くには、この曲の碑が建てられている。
記念艦 三笠の司令塔にまで登ってみた。
ここで、東郷元帥が指揮を取ったということでなんかじわっとくるものがあった。
鹿児島と横須賀というのは、何か深いつながりがある気がしてならない。
初版2005.10.28
2005年12月05日
Gackt@アミュ広場
アミュ鹿児島に行ったら、何だか人だかりが出来ていた。
誰か、有名人でも来ているのかと思った。
→スタッフが撮影禁止との立て札を持っていてこれ以上近づけなかった。
オレンジのジャケットを着たスタッフが向こうを向いた一瞬の隙をついた貴重な写真である。
よくよく、見てみると、
AMU VISIONに、何やらアフリカ風の頭をした男性が大写しになっていた。
最初、彼がGacktであることが分からなかったのである。
聞いてみて、やっと分かった。イメージが違いすぎる。
☆アミュ広場の人出
第一位・・・パク・ヨンハ(韓流スター) 8000人
第二位・・・レギュラー(お笑い芸人) 7000人
今日のGackt動員数は、詳しくは分からないが、
3000人はいたかもしれない。
↓
以上推定です。。。
2005年11月06日
野口五郎ライブ@鹿児島アリーナ
鹿児島アリーナに到着したのが、遅れて会場に入ったのは、12時半となっていた。アリーナ一階、周囲、前の広場には、フリーマッケットやバザーがあった。
二階の方から、メインアリーナへ。もう、彼のステージは始まっていた。
MCの最中であった。アリーナ席の座席は埋まっていた。
熱烈なファンは、ステージからすぐ目の前、数メートルのところに陣取っていた。
彼が、ある曲のとき、ステージの縁に腰掛けたのであった。もちろん、彼女らは握手を求めていったのである。携帯での写真撮影もしきりにしていた。
後半の歌は、昔のアルバムからの楽曲が多かったようだ。さすがに歌は上手い。
彼のギタリストとしても、目を見張るものでだった。
最後に、アンコールに答えてくれて「おまけ」として二曲の楽曲があった。
生の野口五郎は、やはり並外れた才能を持った本当に格好良い人であった。
2005年10月26日
稲妻フェスティバル(続き)再掲
フランクフルト、ハンバーガー、ドリンク、タコスなどが売られていた。
この日は、抜けるような青空でった。
しかし、まだまだ日中は暑かったのである。
汗ばむ陽気だ。
某店のドリンクメニューを見ると、缶チューハイ(350ML)が400円、レモンビールが600円といった具合である。
それでも、飛ぶように売れるのだ。
ぼくはといえば、セブンイレブンで買ったサントリーの例の金賞受賞缶生ビールを飲んだ。
いい気分で、クレージーケンバンドのライブを聴くことができた。
この昭和飛行場のところに
シネコンを含む商業施設が出来るらしい。
昭島の隣は、青梅である。ここはマラソンでも有名だが、昭和の町並みを再現して映画をモチーフにしていた街つくりをしている。
人口もかなりいるから、場所的にもシネコンは成り立つだろう。
初版2005.10.26
CKB&Hoppy@鹿児島シティー
昨晩、実行はできないかどうか、友人に電話をした。
「それはいいアイデアだね」と、ご婦人共々賛同してくれた。
彼らは、尊敬すべき人々である。
人生をいかに楽しむかを追求し、実際に自分の居場所で実行しているのだ。
立ち上げのときには、ごく少人数だったのだが、今や大ホールでパーティーを催すまでになった。ひとえに、二人の努力の賜物だ。
そんな彼らが、場所を提供してくれるというのだ。
こんなに有難いことはない。
鹿児島にも必ずやクレージーケンバンドのファン、特におじちゃん、おばちゃんもいるはずである。
年齢・性別は問わずに、ホッピーを飲みながら楽しい夜を過ごす。
こんなに素晴らしいことはないと信じている。
だがしかし、今のところは、参加確実なのは自分とその友人夫婦の三人だけのようだ。
例の「ホッピー主婦」にも参加を呼びかければ四人目として来てくれるかもしれないが・・・
2005年10月23日
クレージーケンバンド@昭島
新宿から、中央線快速で立川乗り継ぎで、昭島に向かった。
快速=各駅停車と知らず、結構な時間がかかったが、無事会場へ。
稲妻フェスティバルは05は、ライダーの祭りである。
電車では、革ジャンが浮いていたが、ここでは自分は普通にも満たない。ただのオジンだ。
入場料は500円だ。CKBの前のフィールドに入りたいなら2500円を払う。ぼくが着いたときには整理券の配布は終了していた。
フィールドの後ろで見たが、よく見えた。2時にライブが開始した。
タイガーアンドドラゴンは、2時42分頃あったが、何回聞いてもジンとくる。
先日の日向とはまったく違う雰囲気、革ジャンやライダースジャケット、時にはスカジャンの囲まれてのライブは最高だった。
3時少し過ぎに、コンサートは終わったが、会場周囲はかなりの客で埋め尽くされていた。
みんな良い思い出が出来たことだと思う。自分もそうだ。
2005年10月22日
2005年10月19日
いーねっ、CKB
体中がしびれてしまった。
脳天の奥深くまで、彼らのサウンドが突き刺さった感じである。
最初から、ノリの良いリズムだから立ちっぱなしの、両手振り上げの、足踏みの、奇声の、いーねの合唱で、受けたに受けた。
今回は、日向という人口6万人の都市で行われた。
なぜかというと、主催が財団法人日向文化振興事業団という堅苦しい名前・・・
多分、日向市とは密接には関係しているのだろう。
途中、MCがあったのだけど、質問用紙に答える形式であった。
5通くらい読まれて、その中の一通が
鹿児島には来ないの?
というやつであった。
つまり、ぼく以外にも鹿児島から馳せ参じた野郎か娘がいたことになる。
(車ナンバーは鹿児島は数台いた。訂正!)
それでその答えは、
二年くらい行ってないかも。ひげ船長は、うまかっただって。。
せっかく日向という町でやっているのに、鹿児島の話題はマズイと思ったんのかな?
それはともかく、
8時57分頃に演奏された生の「タイガー&ドラゴン」は、全身に電気が走らせる感激モノであった。
鹿児島から日向まで出かけて行って、本当に良かったと涙目で思った。
→日向から太平洋を望む。