渥美 清
2006年09月05日
NHK 渥美清 特集
昨夜、NHK総合で放送された番組「渥美清の肖像 知られざる役者人生」を見た。
NHK−BSで「男はつらいよ」シリーズを放送しているが、どうもこの番組ばかりにスポットが当たってしまう。俳優 渥美清に対しては、考察が少なかった。
このことには,渥美ファンのぼく自身は苦々しく思っていたが、昨夜の番組によって、こういった苛立ちは少々払拭された。
「車寅次郎」は言うまでもなく、彼の役どころの代名詞であるが、それがすなわち人間としても役者としても、すべてではないことくらい皆分かっているはずなのである。
でも、男はつらいよ第一作公開の昭和44年(1969)以降、渥美清がマスコミに登場する機会が、どうしてもこの映画が中心になってしまったが故に、
車寅次郎=渥美清
という強烈なイメージが出来上がってしまったのである。
これは、彼にとって非常に苦痛っだったのではないかと以前書いたが。
遺作となる作品の合間に語ったインタービューの中での強烈なメッセージで
ぼくの場合は、そう確信させられた気がした。
「ス−パーマン役が羽をつけたからって、実際に飛べない」
この世を去る前の渥美清の姿は、妙に淡々としているようにも見えた。
これは、「車寅次郎」を見事に演じきったという安堵感とそれから開放されるという気持ちの表れのようにも見えた。
2006年06月17日
2006年01月15日
渥美清はやはりスター@白昼堂々
「男はつらいよ」第一作の前年に製作されたコメディーである。
九州のスリ団(組合と称してはいるが・・・)の親分を見事に演じている。元すりで、一旦は足を洗ったのだが、血が騒いで大きな仕事に協力するという藤岡琢也との絡みがすごくいい。
それにである、早期退職を祝ってあげようと知り合いの元警官(有島一郎)を二人で見舞うのだが、それが逆に彼を元気つけてしまい、退職を思いとどまるのだ。
このあたりのアメリカンジョーク的な面白さがおかしい。
渥美清は、やはりすごい。
北九州の地元では、それなりに、東京のデパートでは、垢抜けた紳士を演じるのである。このあたりの七変化も見ものである。
この映画には、当時の売れっ子コメディアン、俳優も多く出演する。
コント55号、フランキー堺、田中邦衛・・・
しかし何といっても、特筆すべきなのは
倍賞千恵子である。
後に、「男はつらいよ」で寅さんの妹さくらを演じる彼女は、この映画では抱きしめたくなるほどの愛くるしさで出演し、スリの悪役である。
何とあろうことか、渥美清と契約ながら結婚してしまうのである。しかも、九州では、警官にタンカまできるのだからすごい。
何やかんや言っても、渥美の存在感は一際目立っていた。
「ああ声なき友」での渥美が、この時から自分の存在感に違和感を感じていたかどうかは皆目分からなかった。
2005年12月20日
ああ声なき友
渥美清が、自分のプロダクションまで作って(最初で最後である)、今井正監督にお願いして個性俳優を多数出演させてまで、自分が作りたかった作品をやっとの思いで見た。
渥美清は、根は真面目なのである。
「男はつらいよ」の車寅次郎を考えて、この映画を見たら、頭が錯乱するであろう。のっけから、ダークなイメージの貨物列車から始まる。貨物列車というが実は上海へ送られる兵隊を運ぶ列車である。
「お国のために」のスローガンのために、若い男は戦争に駆り出されたのである。当時は、まだ恥の文化が世間に蔓延していたから、戦争に一旦行ったからには死なねばならなかった。生きて帰ることは、死ぬよりつらいという被害妄想にも近い感覚があったのだ。
渥美演じる西山は、肋膜炎のために内地送還となるわけである。ここに彼のコンプレックスが生じたのではないか
2005年12月11日
2005年08月22日
渥美 清 その3
渥美清は、昭和一ケタ生まれの人間である。
ここを上手く理解しておかないと、彼を語れないのではないかと思う。
今からは想像も出来ないほどの大混乱が世界中にあふれていたのである。
ご多分に漏れず、わが日本も、終戦までは軍国主義が支配していた。
戦争中などは、厳しい言論統制がひかれていたのだ。
この部分は、役所広治主演の映画「笑いの大学」で結構上手に描かれている。
笑うことなど不謹慎極まりない!と厳しく検閲する役人が、だんだん自分自身が笑いに目覚めていくさまは滑稽でもある。
人間に深層にまで隠れている本能はどうやってもなくなるものではない。
さて、渥美清の幼年から青年期は明らかではないという。
彼自身も、多くは語らなかった。
国民の大部分がそうであったように、彼が暗い時代にわずかな光を頼りに生きていたと考えても、そう外れてはいないだろう。
そして本当に尊敬の対象として、兵隊さんを見つめていたに違いない。
そういう風に教育を受けた彼が出演した作品に・・・「拝啓 天皇陛下様」がある。こういった時代背景を考えて見ると、彼の喜劇人としての天才ぶりが分かる。
実に彼は奥深い人間である。