大阪、京都・・関西の店
2006年06月27日
角屋もてなしの文化美術館
西本願寺から、花屋町通を西入り歩くと、島原大門が見えてくる。
そこから、すぐのところに見えるのが、角屋の塀と建物である。
ここは、昔の揚屋の遺構であり、今は美術館になっているのだ。
門をくぐると入口だ。入場料1000円を自販機で買おうとしたら、
「すぐに二階を案内しますが特別料金800円追加です」と言われ、計1800円を支払った。
揚屋というのは、今でいう料亭みたいなものである。
(しきりに揚屋と置屋、遊郭とは違うということを聞かされた。)
狭い土地を活用するために、一階には、台所・厨房を中心にし、二階を座敷、宴会場にした。だから「揚屋」というわけだ。ふむふむ。
しばらく見て回って、目にとまったのは、薩摩の偉人、西郷隆盛が行水したという盥(たらい)だった。偉勲らも、たびたびここを利用したというわけなのである。
二階へどうぞとのお呼びがかかった。
案内されたのは、何の変哲もない引き戸の前だった。
これが開かれると、眼前には、とても急な階段が出現した。上の座敷へと通じているのである。
意外なところに入り口があるという点では、ディズニーランドのクラブ33と同様のオドロキでもあった。
二階に導かれたのは、ガイド役の女性とお客4名(若い女性3名とオヤヂ)であった。それぞれの間には、いわく付きの建具(襖、釘隠し、障子)や天井などがあったりして、かなり面白かった。コダワリが感じられるのである。
このようなコダワリの説明を、女子大生風の女性が、熱心にメモしていたのには感心した。(エライ!)
一通り見てから、外に出た。
京都というのは不思議なところである。
一歩、建物から外に出ただけだというのに、風景は変わり、現代へと引き戻される。
角屋には一時間ほどしかいなかったのだが、その間、何か異次元ワールドに迷いこみ、つかの間のタイムトリップを体験したような妙な錯覚にも捉われたのであった。
ハイテク 回転寿司 がんこ
梅田あたりで回転すしがないか?と思っていたら、大阪では誰もが知っている「がんこ寿司」を見つけることが出来た。
数分待って着席、隣はドイツ人の団体(セレブ系カップル二組+女性二人)だ。
回転寿司といっても、鹿児島の寿司ま○かとはネタが多少違う。
生ビールと一緒に美味しく食べた。
店内スタッフの若き乙女たちを見ると、腰になにやら、機械をぶら下げている。
何だろうと思いながら、勘定をお願いしたら、
皿に向かって、スキャナーを当てたのである。
瞬時にして、○○円の皿が何枚と分かるのだ。
皿の裏には、発信機が・・・
そして、そのデータを腰にあるプリンターに転送し、印刷するのである。
客は、これを持って行き、清算するのである。
これには、インド人、ドイツ人もびっくり であったろう。
この薩摩人=ぼくもびっくりした。
話は変わるが、横須賀の「くら寿司」は、座席にあるTVモニターで注文も出来るそうである(by MILETETSUさん)
回転すしも、いろいろPOS SYSTEMが発達して来たものだと思いながら
店を出た。
このフロアを改めて見直したら、美味そうな品を出す飲食店が並んでいた。
さすが食い倒れの町、競争は熾烈のようだ。
2006年06月26日
2006年06月25日
寿々
鶴橋のアーケードをうろついていたら、
お腹もすいてきたので、ここへ入る。
お好み焼きはもちろんだが、もんじゃが美味しいと書いてある。
店員さんのおすすめ・・・ミックスもんじゃ1050円を頼む。
ここのもんじゃは、土手はいっさい作らない方式である。具もそのままで、潰したりもしない。
粉や具の鉢から、鉄板にそのまま流しいれ、一本のはがしで、混ぜるだけのシンプルなものである。
食べる時は、小さいはがしで、少しとって、鉄板へ押さえつけ、少々焦げ目をつけてから食べるのである。
飲み物は、まずは、生ビール、次はチューハイ(ライム味)へ切り替えた。
店員さんは、全てが女性である。
後で、鶴橋の他の店を見てみたが、ここは女性パワーがあふれている場所でもあるのだ。
2006年06月24日
再び、京都サンボア
新京極と言えば、ここへ行かねばならないという使命感?みたいなものが芽生えてきた。
でも、場所が分からない。
ちょうど。派出所があったので、道を聞いてみることに・・・
「バルボアは、どこですか?」
「はぁ? もしかして サンボア?」
「そうです。」
ぼくは、いい間違いをしていたのである。すぐに、たどり着けた。
ここは、大人のバーである。
前も書いたが、突き出しの落花生の皮は、床に落とさねばならない。
隣の紳士も皆、床に沢山落としている。床は、落花生の皮で一杯である。
これは、慣れないとなかなか出来ない業である。
ぼくは、このことが出来ないとマスターに言うと、それでいいと彼は言った。
バーボンのロックを頼む。チェイサーを頼んだら、最初から、水を下さいと言ったほうがいいですよと言われた。
これらのことを、うるさいと思うかどうかは、個人の自由である。
ここには、昔からのファンが多いのをみると、
一見さん、それに近い人に決して分からない居心地があるのは間違いがない。
ここは、京都である。
一見さんはお断りではないが、地元の人のための店であってもいいのである。
京都の話題だけで盛り上がろうがそれは構わない。
ぼくは今回二回目だったが、この何ともいえない雰囲気のせいか、また来たいと考えた。
京都で「居酒屋「ん」へ飛び込み
木屋町通りには、高瀬川沿いに発達したのであろう、見事なまでにずらりと飲み屋が連なっている。
高層ビルのネオンのような野暮なものはなく、古都京都の風情を残す提灯や暖簾・・・店先は一糸乱れることない調和を醸し出す。あまたの店が軒を並べる様は、ノンベエにはたまらない風景なのである。
この中で、ひときわ目立ったのは、「ん」と大きく書かれた赤提灯であった。
さっそく、中に入ってみる。
すぐに、10人ほどが座れる横長凹型カウンターがあった。奥には、テーブル席、そして座敷までも備える。京都の店の間口は狭く、奥行きが広いという伝統を継承しているかのようだ。(昔は、間口の広さで課税されたらしい。)
そこの中央に座った。
目の前では、若き料理人たちが、忙しそうにその腕をふるっている。
チュウハイ(シークァーサー)を頼む。420円
また、これがカクテルかと見まごうような逸品であった。
口当たりのいい南国の香りを、京都で味わえるとは思ってもみなかった。
カウンターの目の前には、大皿に盛られた惣菜の数々が所狭しと並んでいたが、スタンドで、ヘビーなものを食してきた後だけに、軽めのものを探した。
おそらくは、ここで、一番軽いであろう酒肴である一品を頼んだ。
たたみいわし 380円
そのままでも、十分香ばしいのだが、醤油に漬けると、さらに味わい深くなった。
しみじみと、これをつまみつつ、酒を流し込む。
体中の疲れは、まるで霧散するがごとくに、消えていったのであった。
カウンターには、二組のカップルがいた。夫婦ではないようだ。
この店の会計は、その場所で済ますのだが、二組とも、
「私が払うからいいわ。」と女性が1万近く支払ったのであった。
京都の女性とは、気前がいいのか、お金持ちが多いのか?
たまたまのことかもしれないが、そう思ったのである。(エエナア)
ぼくの会計はと言えば、突き出しなどもないから
「チューハイ」と「たたみいわし」で、計800円
こんなに気持ちよく時間を過ごして、大満足。次の店へと向かったのである。
2005年09月28日
DAIMARU 京都店
百貨店大好きなので、旅行に行くと欠かさず回ることにしている。
烏丸から河原町方面に行くと、大丸が見えてくる。
聞くところによると、地元では「大丸さん」と親しまれているらしい。
入ると、フロアは人であふれていた。
ここの紳士服売り場をのぞいてみる。
おしゃれなシャツやセーターが所狭しと並んでいる。
紳士服売り場は、基本的に男性が接客することが多いようである。紳士靴売り場もそうだ。
ここの売り場担当者はたとえ若くても商品には詳しい。
そして、冷やかしと分かっていても、嫌な顔は決してしない。
そうなのだ。大丸に行って、心地いいのは販売のプロが多いからなのだ。
この中にはメーカー派遣の人も含まれていようが、総じて接客術には優れている。
言葉は、標準語である。京都弁は、私的のときだけに封印されているのだろう。
何かベルトはないか?とオーダーしたら、なめし皮の逸品を出してくれた。すぐに購入したのはいうまでもない。
いつも立ち寄るデパ地下には今回は行かなかった。
大丸は食料品がいいので定評がある。さぞかし、充実しているのだろう。
→3メートルの道にあふれる人の波
並みの品を置いておけば、客は逃げてしまう。まさに、バトルである。
京都は山の中にありながら、琵琶湖、若狭湾、瀬戸内海から海の幸、京野菜を始め山の幸も集まってくる。都であるから当然だが・・京都市民は、つくづく幸せだとうらやましくなった。
2005年09月27日
2005年09月20日
三木半
京都市中京区新京極四条上ル中ノ町574
075-255-3358
見渡す限り、若者が闊歩するストリートにぽつんと存在する店である。周囲の小じゃれたショップとはまるで違う。ここは、京都でおます。。と一人気を吐いている気がしないでもない。
暖簾をくぐると、カウンターがある。もう既に、常連と思しきおじちゃんがテレビの大相撲中継に見入っていた。
女将に、どこに座ればいいか聞く。手前の入り口近くへと指示された。左の方に
テレビが見える。そして、壁一面には、お品書きの短冊が所狭しと貼られている。何を頼んだらいいか迷う。
まずは、生ビールである。これが、何とも美味い。
何か、納豆が食べたくなった。
それで頼んだのが「スタミナ納豆」だ。
おくら、山芋、玉子、まぐろ、ねぎ、納豆・・・
これらが並んでいる。これらを、豪快にかき混ぜて
食べるのである。
次に頼んだのが「アジフライ」である。大振りの鯵を使用したのだろう。身が厚い。中までしっかり火が通っている。
左にあるのがタルタルソース、右がレモン。
付けあわせが、トマトとキャベツだ。
ビールの後は、ライムチューハイを頼んだ。小ジョッキに注がれてきた。
良く見ると、隣の客は同じジョッキで焼酎を飲んでいた。
京都は伏見の酒で日本酒文化圏だが、焼酎も浸透しているのだろう。
ほろ酔い加減で店を出た。そこには、若者の姿が行きかう様子だけが相変わらず目立った。
やはり、ここだけが異次元の空間だったのだ。
ほんの少しばかり、ここで快く彷徨っていた自分が存在したのは紛れもない事実った。
天天有
京都市下京区烏丸通り四条下ル 水銀屋町620番地
075−361−9899
COCON KARASUMA地下一階にある。
隣は、今ブレイク中のとんかつ「キムカツ」である。
「天天有」と大きく書かれた暖簾をくぐると、やや一段高いところに逆L字型カウンターがある。
そこへ、背もたれのある椅子に腰掛ける。やや高くなるので、子供向きではないだろう。(背もたれの裏側にはフックがあって、バッグなどを掛けられるようになっている・・・便利だが死角にもなる。)
壇上の舞台でラーメンをいただくと相成るのである。
元々、インテリアがしゃれていて若い女性を意識した店のようである。
しばし待って、席へと案内された。
ラーメンは、スープによって「丸」と「角」に分かれている。今回は、あっさりの「丸」をチョイスした。
とんこつスープである。
京都ラーメンのいうジャンルについては余り詳しくないが、紅しょうががあったり、やや細麺であったり、薄めのチャーシューなどが博多ラーメンに近い印象がした。
一方の「角」の方は、背脂があるのでスープが冷めにくいだろうが、今回頼んだ「丸」の方はスープが最初からぬるかった。
ラーメンスープの最適温度である80℃をきちんと守ってほしいものだ。
接客については、申し分なかった。
また、世俗的なラーメンセットとは言わずに
天・・・中華そば+ごはん(小) 750円
有・・・中華そば+ごはん(小)+餃子 900円
華・・・中華そば+ごはん(小)+シャーベット 850円
という名前が付けられているのには、京都の雅を感じた自分であった。
2005年09月19日
ファーストキッチン
京都から大阪まで、JR京都線で行く。
乗り込んだのは、普通電車で各駅停車だ。もちろん快速の方が速いがお構いなしだ。
車内で「大人の週末」を読んでいたら、なんだか「そば」が食べたくなった。駅構内の立ち食いそばの特集が組まれていたのだ。ちょっとした時間にかきこんで食べるのが最高だ。
大阪駅の構内に「立ち食いそば」がないかと探すが見つからない。梅田は広い。歩き回ると疲れてくる。
午前10時というのは微妙な時間だ。たいていの飲食店は、午前11時からの営業が多い。
歩くうちに、ヨドバシ梅田の方に着いた。ただでさえ、人通りが多いのにウィングがあるのでオッちゃんらの大群が押し寄せる。歩道が狭いので、人があふれる。
もう、空腹で限界である。
で、目に飛び込んできたのが「ファーストキッチン」の看板だ。遅めの朝食にすることにした。
チキン竜田バーガー、フライドポテト(ハバネロ風味)ペプシコーラ
2005年09月18日
京都サンボア
京都市中京区寺町通三条下ル桜之町 075-221-2811
ここは、業界の人ならば知らぬ人はいないという老舗中の老舗である。
いろいろと、系譜があるらしいが今回は京都サンボアについて述べる。
まず、門構えからして違う。
周囲は近代化された商店街だが、ここだけが時間が止まった感じだ。
ドアを開けたらさらにこの意を深くする。
決して真似することの出来ない風格がここにはあるのだ。
使い込まれた調度類に、壁の上の方に、かけられた栓抜きの数々には圧倒される。照明や掛け時計なども時代の年輪を感じさせる。
10人も座れば満員といったカウンターには、手前に手すりのようなものがつけられている。理由はこうだ。
カウンターはとても神聖なもので汚してはいけない領域なのだ。
肘をつくなんてのは、もってのほかだ。
(カウンターが壊れるからという串揚げ屋とは本質的には異なるのだ。)
また、カウンターを汚さないためには、ごみを床に落とすのも許される。むしろ、マナーである。殻つきピーナッツが代表的だが、慣れないと出来ない芸当だ。
今回のつまみは、塩ゆでピーナッツであったから必要はなかったが・・・。
注文したバーボンもモルトも、ダブルであった。グラスに注ぐ時に、軽量するなんてまどろっこしいことはない。あくまでも、目分量である。
潔い飲み方が出来た。
マスターは、あまり客の話に深入りすることはなく、ポーカーフェイスを押し通した。しかし、帰るときには挨拶はした。
このあたりが、絶妙の客との距離感なのであろう。
永久に受け継がれるであろう伝統の重みを感じることの出来るバーの名店であった。